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2020/5/27

留学志望者必見!竹林先生の米国留学エピソード(前編)

この記事を書いた人

バークレーハウスIELTS講師
竹林 駿 Suguru Takebayashi
米国ミネソタ州立大学大学院修了。専門はライティング。大学院在籍時は英語で詩を執筆し、米国の文芸雑誌に応募していた。勉強の傍ら、Diversity Councilにてファシリテーターとしてボランティア活動にも従事し、米国の中学高校などで人種差別などをテーマにしたセミナーに「留学生(=外国人)」として自ら登壇した。帰国後は英検、TOEIC、大学受験などの英語指導に携わったほか、2019年度から都内の私立大学でも教鞭を取る。IELTSでは、4技能(L, R, S, W)全てのセクションで8.0以上を取得。英検1級、TOEFL iBT109点。

竹林先生

こんにちは。今回はIELTSの試験対策からちょっと肩の力を抜いて、私のアメリカ留学の体験について語ろうと思います。これから留学する予定の方は、「アメリカ」という怪物(?)とどう渡り合っていくか、イメージがつけばと思います。

これからアメリカ留学をする人のための、アメリカントークですね。楽しみです。先生、よろしくお願いいたします。

竹林先生

まず初めに、私はアメリカという国が大好きです。

あ、そうなんですね。「怪物」なのに(笑)

竹林先生

だからこそ好きです。いろんな意味で暴れている感じが(笑)。暴れていても心は温かい彼らなのですが。

では、そのアメリカの暴れ具合(?)とハートの温かさを、「前編」「後編」の2回に分けてたっぷりと聞かせていただきましょう!

目次

壮絶!アメリカの冷蔵庫の冬。バナナで釘が打てるほど!

極寒! マイナス30度の世界。5分で死を覚悟

米国の冬の朝、一面の雪景色模様の写真
ある冬の朝、大学が一面の銀世界

では最初に、先生はいつ頃、アメリカのどこへ留学されていたのですか?

竹林先生

初めて留学したのは20歳過ぎてからで、高校までは日本でした。大学はウィスコンシン州、大学院はミネソタ州でした。どちらも「中西部(Midwest)」といって、アメリカ本土では最北の州の1つです。

どちらもカナダと国境を接している州ですね。

竹林先生

そうです。隣り合っているので気候も文化も似てます。合わせて計5年以上いました。

ひとことで言うと、ウィスコンシン州とミネソタ州は、どんな所ですか?

竹林先生

ひたすら「寒い」(笑)。

竹林先生

冬はずっと雪、雪、です。一晩で30~40センチ降ることもあります。私がいた時の気温の最低記録は「マイナス38度」ってのがあったと思います。

バナナで釘が打てるレベルですね(笑)

竹林先生

その時は、大学から外出禁止令が出ました。マイナス38度に到達したのは夜で、非常に風が強かった。恐る恐る部屋の窓を10cmほど開けると、台風のような轟音を立てて、息を止めたくなるほど冷たい風が室内に入りました。外の世界はもう南極の吹雪のようで、「これで外出たら死ぬだろうな」と本気で思いました。窓は二重ガラスですが、内側のガラス一面に、霜が凍ったのがびっしり付いてました。マイナス20度でさえ霜はつかないので、マイナス30度以下は「別格」です笑。

マイナス30度以下の時に、外出したことはありますか?

竹林先生

マイナス30度くらいの時に、友達とキャンパス近くのガソリンスタンド内の売店に歩いていった事があります。同じく風の強い日でした。友達は皮下脂肪の厚い(?)人で、歩きながら私になんか話しかけましたが、私は耳まで隠れる帽子と、手袋はめた手で口を押えながら「話す暇があったら早く歩いて!」と言い放ったのを覚えています。それくらい寒い。1秒でも早く建物内に入らないと命が危ない、そんな風に感じました。

「寒い」とかいうレベルではないのですね。

竹林先生

そう、「命の危険」レベルです。マイナス30度以下になると、外に居られるのは5分が限界。それ以上は身の危険を感じます。マイナス20度くらいまではへっちゃらな私だったので、マイナス20と30の差はでかいと実感しました。0度なんて暖かく感じますよ。東京帰ってきても、しばらくは外の気温が12度とかでも半袖で外歩いてました。

力士みたいですね。夏も寒いんですか?

竹林先生

夏はね、熱いんです、実は。32度くらい行きます。

米国留学しようと思い、実際に留学するまで

私が留学に興味を持ったきっかけ

米国留学の思い出を語る、竹林先生の写真
米国留学の思い出について語る竹林先生

しょっぱなからアメリカの寒さの「怪物」っぷりが全開でしたが、先生がアメリカ留学を決めた理由をお聞かせください。

竹林先生

当初は、「アメリカ」が目的だったというより、「英語」が目的でした。私が高校1年の夏休みに、家族と中国へ旅行に行きました。ホテルの廊下で、ある客室のドアが開いてた。通り過ぎる時に、中で観光客と思わしき西洋人の家族が、英語で話していました。発音にひとめぼれでした。「あんなキレイな言語を話せるようになってみたい」と、心に薔薇が咲くように強く憧れました。人生が変わった瞬間でした。

それだけがきっかけで、そんなにも英語の勉強に打ち込めるようになるものなのですか?

竹林先生

当時高校入りたてでしたが、学校の授業が、中学の内容の復習から入っていたので比較的簡単でした。中学時代は英語苦手だった私が、「自分にも英語できるかも」という自信が少し芽生えていた頃でしたので、「本気でやってみよう」と思えたんです。高校卒業直後には、英検準1級に合格するまでになっていました。

【実録】1カ月で1500語覚えた高校時代

留学の準備に向けて、日本の高校時代はどんな勉強をされていたんですか?

竹林先生

「単語を知ってれば英語が聞き取れるはずだ」というのが、当時の私が勝手に定めた理論でしたので、単語をたくさん覚えることにしました。英検の単語帳(最初は2級、次第に準1級、そして1級)も使いましたし、辞書をランダムに開いて、赤い単語(重要度高い単語)を見つけてはノートに書き留める、という具合です。1日50語くらい覚えました。1カ月にすると1500語ですから、今思うとすごいですよね。

それは誰かに言われてやったのですか?

竹林先生

いえ。完全に独学です。さっきも言ったように「単語さえ覚えれば聞ける、読める」というのが当時の私の考えでした。誰かに言われて始めたという事は無かったと思います。あとは学校の勉強を頑張ったかな。長文と文法。定期試験が終わっても時折復習して忘れないようにして。リスニングは英検の問題集で鍛えました。部活動はやっていなかったので、ほんと毎日、英語ばかりやっていました。

典型的なガリ勉だったんですね。

竹林先生

一応、ほかの科目の勉強も頑張ってましたよ。私の高校は偏差値の高くないバカ学校でしたから、ちょっと勉強すれば学年1位とか取れちゃう。国数英社理すべてでクラス1位とか取ったこともありました。でも、興味のないことはすぐ忘れるタイプでしたから、英語以外の勉強したことは、今は何も覚えてません笑。

【無謀?】留学エージェントは使わず、直接米国へ渡る

留学の準備にあたり、留学あっせん業者などは利用しましたか?

竹林先生

いいえ。高校卒業後は、日本で2年間短大に通いながら英語を学び、その後向こうに編入する形でしたので、いわゆる留学エージェントは通さず、入学前のやり取りは大学と直接やってました。メールがある時代でしたから助かりました。英語で電話とか、留学前の私には絶対無理だったと思うので。

留学を考えている人にとって、エージェントを通した方が良いと思いますか?

竹林先生

メールでの英語のやりとりに抵抗が無いくらいの英語力があれば、エージェントは必要ないと思います。まだ英語力に不安がある、という方はエージェントを通した方が絶対安心ですね。意思疎通(どんな書類が必要か等)に齟齬があると危険ですから。

念願の米国に到着。米国で感じた異文化世界

米国に着いて真っ先にしたことは?

キャンパス近くのスーパーで買い物中の竹林先生
キャンパス近くの大型スーパーで買い物中

さて先生、勉強の甲斐あって晴れてアメリカに旅立ったわけですが、最初はどんな気持ちでしたか?

竹林先生

特になんとも(笑)。私って、普段はおとなしくても、何かやりたいことがあると獅子の様に猛進するきらいがあるので、国内では隣の県にすら1人で行った事のない私が、なぜかアメリカになら1人で怖がらず行けたんです。我ながら不思議な性格だと思います。なので怖くはなかったです。

アメリカに着いて1番最初にしたことは何でしたか? アメリカの国旗を買ったとか?

竹林先生

真っ先にしたことは、売店で殺虫剤を買ったことです。季節は8月だったので、学生寮に虫が出たら嫌だなと思ったので(笑)。虫は大嫌いですから。それ以外、日常的に必要な物はスーツケースに入れてきたので、他には特に何も買ってません。

留学に憧れていた割にはあっさりしてますね(笑)。で、寮に虫は出たのですか?

竹林先生

出ませんでした笑。

留学生の実態。学生寮や食事はどう?

学生寮や、食べ物のことをいろいろ聞かせてください。

竹林先生

学生寮は、典型的な2人部屋でした。ルームメイトはアメリカ人でした。寡黙な人だったので、最初の頃こそ一緒にカフェテリア(食堂)に行ったりもしてましたが、その後は普段はあまり話しませんでした。部屋に2人の間に敷居が無くてプライバシーが無いので、勉強机を背中合わせに配置して、お互い顔が直接見えることが少なくなるよう配慮してました。

1人部屋の寮って無いんですか?

竹林先生

ありますが、高いです。しかもほとんど部屋数が無い。大半の学生寮が2人部屋です。あと、何か困った時に質問できる人がいた方がいいなと思ったので、私はあえて1人部屋にはしませんでした。

寮に友達はいましたか?

竹林先生

当時のルームメイトはあまり人とワイワイするタイプではなかったですが、同じフロアのアメリカ人で、私によく話しかけてくれる人がいて、その人とは仲良くなりました。そこから、その人のルームメイトや友達と交流が広がっていったので、その人が居なかったら私はずっと1人ぼっちだったかも。だからそのアメリカ人には今も感謝してます。

竹林先生

アメリカ人って、寮では自分の部屋を開け放しにしてる人が多いんです。廊下を歩いてると、中の人と目が合って「Oh, hey.」みたいな(笑)そのよく話しかけてくれたアメリカ人も、新しいでっかいPCを買ってあって「Wow, look at your computer!」みたいにこっちから話しかけて中に入って行ったり。彼や、彼の友達とはカフェテリアでもよく一緒に食べましたね。

普段の生活で、日本との文化の違いを感じたことは?

竹林先生

まず、彼らは爆音で音楽を流すんですね笑。部屋の壁がビリビリ振動するくらい。迷惑でもありましたが、アメリカ人のそういう細かい事をまったく気にしない感じは好きでした。「さすがアメリカ」と言わせるような迫力です。

勉強の邪魔にはならなかったですか?

竹林先生

邪魔だと感じる人は図書館に行きますね。でも私は東京育ちだからか、騒音には慣れてました。周りがうるさくても、自分の部屋のドアさえ閉まってれば超然と勉強に集中することはできました。

竹林先生

あと、あえて言うならお風呂ですかね。風呂場は共同で、各フロアにシャワー室があります。湯舟はありません。アメリカ行って驚いたのが、アメリカ人って朝にシャワーを浴びるんですね、夜ではなくて。だから朝7~8時くらいはシャワー室が混むので、私は夜浴びてました。でも日本帰ってきてからは、私も朝シャワー派になりました。

海外生活って、多くの方が食べ物を心配されると思います。食べ物は口に合いましたか?

竹林先生

カフェテリアの料理は、まあまあでした。サラダがちょっとしなびてレタスが赤くなってるのを除いて(笑)。食べ物はハンバーガー、ピザ、サンドイッチなどが主流で、それだけでは体に悪そうなので、生野菜のサラダか、野菜と豆が多そうなスープは毎回必ず一緒に食べるようにしてました。飲み物は炭酸か牛乳でした。

白いお米は無いですよね、さすがに・・?

竹林先生

一応ありますよ。でも、パサパサしたタイ米みたいというか、日本人の言う「ごはん」とは程遠いので、私は口にしませんでした(笑)。白い米の状態では美味しくないのですが、「cheesy rice」といってチーズをまぶしたごはんが出てくることはありました。ドリアみたいで、それは美味しくて好きでしたね。

おコメひとつとっても、国によって質感が異なるって不思議ですよね。

竹林先生

アメリカでは、食べ物に「こだわり」を持ってはいけません笑。血となり肉となるものはとりあえず食べる、のみです。味付けにこだわる日本人留学生は、シカゴのような大都市に赴いて大型スーパーで日本から輸入した調味料なんぞを買い込んで自分で料理してる人もいましたが、私はそんな面倒くさい事はしてませんでした(笑)。

【経験者は語る】米国の授業は〇〇が大変!

留学先の授業はどうでしたか?

竹林先生

学部生時代は1日2~3科目、大学院では1日1~2科目ほど取っていたと思いますが、宿題が多いです。特に私の専攻はCreative Writing(文芸)という文学系でしたから、1週間に2~3冊本を読まされることもしばしば。学期の終わりには必ずどのクラスでもプレゼンがあるので、人前で英語でプレゼンするのはだいぶ慣れました。

アメリカの大学は、入るのは簡単だけど卒業するのが難しいって言いますもんね。

竹林先生

クラスメートは多くても25人くらいなので、比較的アットホームな雰囲気でした。科目にもよりますが、私の専攻の文芸は留学生はほとんどおらず、クラスメートはすべて白人のアメリカ人でした。留学生で、且つ有色人種は私だけという状況が多かったので、視線が気になる事もありましたが、クラスメートは基本いい人達でした。

クラスメートと友達になりましたか?

竹林先生

アメリカ人て、仕事でもそうですが、比較的シビアなとこがあって、教室内ではフレンドリーですが授業が終わるとサッサと帰っちゃうんです。「この後飲みに行こうぜ」みたいな空気になることはまずありませんでした。ただ、一部のクラスメートとはFacebookで友達になって、今でもFacebookでも交流があります。Facebookは、留学後もコンタクトを取るには最適なツールですね。

授業で挫折しそうになったことはありましたか?

竹林先生

幸い、単位を落としそうになったことはありませんでした。とりあえず宿題とテストはこなしていましたから。でも苦しめられたのが、授業内での「participation」です。

何ですか、それは?

竹林先生

「授業中に発言をしろ」ということです。質問でも、コメントでも、何でもいいから手を挙げて発言しろと。でも、「何でもいいから」と言われても何言えばいいか分からないんですよね。ましてや、日本人気質というか、手挙げて話すってなんだか「ずうずうしい」と思われるんじゃないかという不安があり(笑)。

アメリカ人の生徒は発言するんですか?

竹林先生

学部生は比較的おとなしいかな。大学院生となると結構話しますね。全然教授に遠慮が無いというか、食ってかかるみたいな笑。人によっては教授に止められるくらいガァガァと。「ああ、今日も暴れてるな」と笑。そこがアメリカの良さでもありますよね。

で、先生は発言をしたんですか?

竹林先生

当てられればそりゃ話しますよ。自発的な発言は、学部生時代はご遠慮申しておりましたが(笑)大学院となると「participationをしろ」の圧力が増したので、恐る恐る手を挙げてポツポツ質問をしました。大学院はクラスの規模も小さいので(1クラス10人程度)、まあまあ発言しやすかったです。

教授との関係はどうでしたか?

竹林先生

生徒との距離が近いです。高校までは、アメリカでも先生のことは「Mr.+ 苗字」で呼ばなければいけませんが、大学では教授のことをファーストネームで呼ぶのが普通です。教授は毎週決まった時間に「オフィスアワー」があって、教授の部屋にいつでも入ることができます。寮と同様、ドアが開けっぱなしになってて「いつでもwelcome」な雰囲気です。

教授と生徒の距離が近いのはいいですね。

竹林先生

そうですね。しかも私は、教授と触れ合う方が、クラスメートと触れ合うより好きでした。教授の方が安心感があるので。よくオフィスに行ってましたね。1度行くと、1時間くらい話しちゃうので、教授からは「あいつまた来たよ」って煙ったがられていたかもしれませんが笑。

そう思ってないといいですね(笑)

竹林先生

あるWritingの教授の部屋が、その教授は勤続30年以上でしたけれども、本がびっしりと、棚にもデスクにも並んでいました。並んでるというより「生えてる」感じ。山の岩にコケが生えてるように、部屋中、無造作にびっしりと。

竹林先生

その中に、何やらコンクリートの欠片が置いてあるから、何かと思ったら、昔キャンパスにあった建物を取り壊した際に、がれきの一部をもらった物だったようです。部屋を見るだけでその人のドラマが垣間見えて面白いですね。部屋のインテリアは、日本人よりアメリカ人の方が「個性」や「アイデンティティ」を出そうとする傾向があると思います。

海外ドラマなんかでは、従業員のデスクの上に家族の写真が置いてあるイメージですが。

竹林先生

ありました、どの教授のオフィスにも! 家族というものをすごく大切にしますよね、向こうの人は。だからアメリカ人って何をしても芯が通ったものがあるというか、「家族」という支えがだれの心の根底にもちゃんとあって、心の底は温かい感じは常にしますよね。そういう所は素晴らしいと思います。

後編予告

では、前編のお話はこの辺にして、後編は来月にお伺いしましょう!

後編では、先生がアメリカ留学の「日常生活で困ったこと」や、これからアメリカ留学を考える人のための「アメリカ地域別文化」の紹介、およびどんな人がそれぞれの地域に合うか、を語って頂きます。お楽しみに!

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